好きな音楽アーティストが好きな音楽アーティストを聴く。
好きな著者が好きな著書を読む。
好きな漫画の元ネタになっているモノに触れる。
憧れている選手が憧れた選手のプレーを観る。
気の合う友人の気の合う友人を紹介してもらう。
こんなことを考えているとどこまでも続くDNA配列みたいな複雑な螺旋階段や、宇宙から見る地球の視点が遠ざかってどんどん小さくなっていくようなイメージが浮かぶ。
人脈一つで人生が大きく変わることは珍しくない。
その仕事をしていなければ会えなかったであろう人や、たまたま知り合いを通じて会えた遠い世界の人…ウルトラだ。
しかし最近こう考えるようになってきている。
相手が自分を認知していなくとも、自分が「その人」を知っていればそれはすでに立派な人脈ではないか、と。
会いたい、会って話しをしてみたいと思える生きている人がいる時点でもう「その人」に会えるチャンスを握っているのだ。
そして「その人」に会う方法を、我々はすでに知っている。
重要なのはそう思える人が我々の意識の中に存在することであり、哀しいのは彼らを意識の中に埋葬してしまうことであろう。
多くの人が経験する私の人生において必然だったのだろうと思えるほどの出会いと確実に違うのは、会う前から「その人」を認知していることである。
今までの私の出会いはほとんど全て受動的だった。
今日ここに書いたことは忘れないでおこう。