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ゼファーガーデン(the zephyr garden)

toughshot.exblog.jp

カテゴリ:言葉言語( 11 )

ちょっとの怒りをラップで包んで

「ググレカス」
オンラインにて自分で調べようとする意思を感じさせない稚拙な質問者に対してしばしば投げかけられるネットスラング。
「そんなことわざわざ聞かなくても自分で検索して調べろ(大意)」である。
ヤフー知恵袋、教えてgoo 、sns 、掲示板あたりでの「教えてちゃん」にはけっこう容赦なく飛び交うこのググレカスだが、ことブログへのコメント欄にこの教えてちゃんが顔を出した場合の対処は他と区別せざるを得ない。
コメント欄内のやり取りは他の読者にも公開されているのでむやみにググレカスしようものなら他の読者に悪い印象を与えかねないからだ。
訪問者あってこそのブログなので無駄な部分でそれを失いかねないワードチョイスは避けたいところ。
多くの場合尋ねられた管理人は懇切丁寧に答える、答えざるをえない。

ところが先日巡回したブログで興味深い教えてちゃんのかわし方を取られている管理人がいた。
「おググリください」
正確にはまずキーワードを与え「○○○にておググリください」とした。
あまりに示唆的なこの応答に液晶の前で笑ってしまった。
「ググレカスしてしまうと少し乱暴か、けどこれくらいのことは質問する前に検索すればすぐに分かること。まずは自分で調べなさいってばよ。けどまあここは示しつつも答えておくか」
こんな内面を含んでいたことだろう。
センスを感じさせたフレーズだった。

ネガティブな意味の言葉を無理やり丁寧に表現することで少しの怒りと呆れ、そしてユーモアを一度に示してしまった、脱帽。
ちなみにこの手法は前回の記事で僕も使ってるんですけどね、一応。
けどそれは元ネタがあるし効果的でもなんでもないので評価の対象にすらならないんですわー。
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by zephyr_garden | 2008-04-07 13:02 | 言葉言語

イエローバナナの劣等を奏でる

小学校からの本格的な英語教育の取り入れが検討されているとかいないとか。

検討、するな。
そんなに英語を教育してどうするというのか。
英語のために削られるであろう教科しゃかい、どーとく、おんがく、たいく、ずこうたちはどう埋め合わされるのか。
英語以前に日本語をしっかり教えておくべきだ。

イングリッシュを教えにきたボブたちによって強姦される日本人学生(女学生に限らず)の数は爆発的に増加し、横文字を覚えるのと引き換えに癒えることのない傷を負うはめになる。
家族を日本に呼び寄せる連中も出てくるに違いない。
そして退職金を得たら故郷ジョージアでとうもろこし畑をながめて暮らすのだろう。
こうしてyenは海を渡るのだ。

また天狗っ鼻たちに学校を追われた元英語教員たちの行く末の候補はこうだ
・邪教に入信、同級生をファミレスに呼び出し勧誘
・邪教に入信、同級生に不思議な壺を売りつける
・邪教に入信、奇妙な集団行動でワイドショーを賑わす
・集団暴徒化、外国人教員とことん狙われる
・集団暴徒化、文部省に人糞が送りつけられる
・集団ホームレス化、ホームマートのビニールシートの売り上げが過去最高に
・廃人化、返事がない、ただの屍のようだ

そもそも英語なんぞ数学と同じくらい使う機会はないのだ。
自分のいる国も認識せずに平気で英語で場所を尋ねてくる阿呆に何回出くわすというのか。
ただでさえ海外留学に出る日本人の数は右肩上がり、勉強したいやつは勝手にその道に進むということである。
それなのに彼らをさらに英語に近づけることのどこにメリットがあるのか。
みすみす優秀な人材の卵を輸出しているのである。

英語のできるビジネスマンを育てる前に、「馬鹿丸出しの若者言葉ばかり発しているけど本当はキチンと話せる」ガキを育てよ。
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by zephyr_garden | 2006-07-14 10:43 | 言葉言語

英語教育のバッポンテキ改革を叫ぶ

小学校からの本格的な英語教育の取り入れが検討されているとかいないとか。

検討している場合じゃない!
「良い」と判りきっていることに踏み出すのをためらう理由がどこにあるというのか。
第二言語習得はその時期が早ければ早いほど効果的なのはもはや常識。
脳ミソふにゃふみゃの蒙古斑どもに本物を与えよ。

英語を第一言語とした外国人英語教員を、各小学校に他の主要教科と同じ人数分配属する。
殺し文句は「あなたは日本でヒーロー(もしくはプリンセス)になれる逸材だ」。

蒙古斑どもは砂漠に水をこぼしたかのごとき勢いでイングリッシュを吸収するだろう。
そして小学校でイングリッシュに触れさせた時間に反比例して中学の英語教員方の需要と重要性は減っていく。
用済みとなった中学英語教員方には時代の波と言う不条理によって洗われるだろう。
そうなれば高校英語教員方のご退場も時間の問題となる。
不条理の波に後押しされた元蒙古斑どもはグリーンデイ、アブリルらの歌詞を聴き取り理解するようになり、
周回遅れだった日本のTOEFL・TOEIC平均点はアジア圏内を席巻、「イングリッシュのできるジャパン」として世界からの認識を改めさせることだろう。

一方で工場の汚水のごとく排他された元英語教員方は第二の居場所を求め企業への再就職を図る。
その英語力のみを買われ採用された人材たちのほとんどの英語が今日びのビジネス界において全く実用的でないことはすぐに暴かれることになるだろう。
通じないのは英語だけではない、あまりに狭い世界に留まっていた彼らの価値観・了見は新しい力場に適応することなどもはや不可能、恋愛さえもままならなくなる。
その後みちのく前座レスラーのようなアルバイトに精を出す生活を余儀なくされるだろう。

数十年後に残るのは海に囲まれながらも他国との距離の最も近い経済大国と、不条理によって排泄されたおびただしい屍だ。

もう一度言う。
検討している場合じゃあ、ない。
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by zephyr_garden | 2006-07-13 09:19 | 言葉言語

さよならに、別れを告げる

「さようなら」は正しい日本語ではない。
別れを告げる挨拶は「さよなら」が正しい言い方だ。
「さようなら」と言うならばそれは「左様なら」となり接続詞の意を持つ。
だからといって僕はここで日本語の乱れがあーでぃーこーでぃー全くけしからん輩だわいプンプンおっとお嬢さんどこ行くのぺろんちょぺろんちょなんて言いたいわけではない(ちょっとは言ってみたいが)。

・「先生さようなら、みなさんさようなら」これは僕が小学生の頃の帰りの挨拶だ。

■「さようなら」を辞書で調べれば当然のようにさよならに属した答えがある。

■"goodbye" "so long" "farewell"いずれもジーニアス和英辞典で「さようなら」と引いて出てくる単語である。

■広辞苑で「さよなら」と引くと『「さようなら」に同じ』とだけ表示される。

上のどれを取っても広く使われているのは「さようなら」であり「さよなら」はいつしか「さようなら」へのつなぎでしかなくなっている。
そして人々が口にするのは「さよなら」でなく「さようなら」であり、「さようなら」ではなく「じゃあね」、「またね」だ。
時代と共に人々が変化するのが常必然ならば言葉もまた同様だ。
いつしか「さよなら」は「さようなら」と区別化され古語として扱われる日が来るだろう。
もはや誰もその言葉を発しなくなり書籍媒体の中でしか威厳を示さなくなるだろう。
その時僕らはどんな別れの挨拶をしているだろうか。
ぺろんちょぺろんちょ、だけは勘弁してもらいたい。



追記:
goodbye, so long という言葉を挙げたが、brahmanが随分昔に出したミニアルバムの中のroots of treeという曲の中で最後で歌っていたことを思い出した。
I might say the words "so long" or "goodbye" someday.
こんなかんじだったはずだが、直訳すると「俺は"さようなら"、もしくは"またね"と告げるだろう」と、こんな感じだろう。
"so long"はしばらく会えないとき、"goodbye"は日常で使う別れの挨拶ということで使い分けたのだろう。
実際にはほとんど違いはないらしいけど。
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by zephyr_garden | 2006-03-31 21:59 | 言葉言語

心に残ったキャッチフレーズ

今日はもう1つ記事あげます。

年末ということで何かとこの1年を振り返る機会が多いですが、テレビや広告のキャッチフレーズで良いな、と思ったものを紹介したいと思います。
ちなみに全てスポーツメーカーさんのものです。



impossible is nothing(不可能なんてありえない)
アディダスの広告に使われた文句。これは良かった。原文はもっと長いのですがインパクトがあったのでこの部分だけ引用します。「俺には才能がない」と言い切れる程努力できる人間がいったいいくらいるだろう。


I am what I am(俺は俺)
こちらはリーボックの広告に使われた言葉。NBA選手のアレン・アイバーソンのポスターに書いてあったこのフレーズを見たときはシビれました。そういえばアイバーソンは「試合は試合」、「バスケットはバスケット」といった言い回しをよくするのでもしかしたらこれは彼自信の言葉なのかもしれない。


そして最後に

死ぬほどうまくなりたい
ナイキ(もしかしたらナイキジャパンのみ)で使用されたフレーズでバスケット雑誌に毎月のように載っていたことを鮮明に覚えています。最もシンプル、そして最も明快。何も言うことはありません。
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by zephyr_garden | 2005-12-22 14:23 | 言葉言語

言葉の独り歩き

はてな?クエスチョン?

んー、と違和感否めず首をかしげていた。
どうにも「?」の使い方が妙。
・俺そんなこと言ってないよ?
・私は構わないですよ?
このような文章に遭遇するのはやはりネット。
テキストホームページ、ブログ、mixiそして掲示板。
これって明らかにおかしい。
「?」って疑問を示す記号でしょう。
上の2文の様な使い方はしないはず。
恐らく語尾を上げて話している、ということを表現したいのだろうけどそれが僕にはあまりに不細工に映る。
いつから「?」が疑問を示す記号から語尾という音そのものを表現する記号になったのだろうか。
気持ちは分からなくもない。
語尾を上げるか下げるかでは多少印象もニュアンスとやらも違ってくる。
しかしそれを補うために既存の記号の用途を歪曲させてしまうのは如何なものかと。
この「?」自体元々ラテンに由来しているであろう記号なので日本語の文章に挿入することが既に妙なのだし、そもそも既存の用途などというものも不明瞭な話なのだが、それを自然なものと感じてしまうのは「みんなが使っているから」に他ならない。
いつか語尾を上げるために誰もがみな「?」を使う日が来るのだろうか。
その時僕も一緒になって使うのだろうか。
外国文化、習慣の日本化、japanizeが終焉を向かえる日はくるのだろうか。
いやもしかしたらそんな概念さえも無くなってしまう日が来るのかなぁ。
未来も真実も藪の中、なのかぁ。


前回あんな記事あげといて急にこんなこと言い出しても全然説得力が無いのは分かっているのです。分かっているのです。
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by zephyr_garden | 2005-12-09 16:24 | 言葉言語

ホワイトアルバム

ディ・モールト グラッツェ………ってよ~~~
グラッツェってのはわかる…スゲーよくわかる
「ありがとう」って意味だからな
ディ・モールトもわかる…「とっても」って意味だからな

だがディ・モールト グラッツェってのはどういうことだぁ~~!?
イタリア語で「どうもありがとう」はグラッツェ・モールトって言うんだってイタリア人が言ってたぜぇーー!
単純につなげりゃ良いってもんじゃあねえんだぜ!
ナメやがってこの言葉ァ超イラつくぜぇ~~~~~!!
どいつもこいつもみんな「ディ・モールト グラッツェ」なんて言いやがって。
なんで誰も指摘しねぇんだー!?







今日の更新は分かる人にだけ分かって頂ければよいです。
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by zephyr_garden | 2005-10-08 16:09 | 言葉言語

新しい英単語を覚えたから忘れないようにここに記しておくのだ

・ho(あばずれ女)

例文:say ho!

例文の正しい使い方:
イベントなどでMCを務めた時

例文の誤った使い方:
イベントなどでMCを務めた時、意中の女性を指差して



こんな記事書いてたらまた訪問者減るな
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by zephyr_garden | 2005-07-21 06:29 | 言葉言語

割とどうでも良い英語の話し

言葉言語のカテゴリを作ったのにまだ日本語のことしか触れていないんですね。
一応留学生なんで英語の話を少し。
知っておくと邦楽を聞く際の粗探しに役立ちます。
興味のある方はどうぞ。
注)中学高校でキチンと英語を学ばれた方には読む必要の無い内容となっています

大した話ではありませんが
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by zephyr_garden | 2005-06-12 12:16 | 言葉言語

st.anger

<日本語の語彙力>私大生の19%「中学生並み」
今日は怒ってますよ、ワタクシ。
とりあえず上のニュースに目を通して頂きたい。
なかなか衝撃的な記事だ。
さぁどうする文部省、いや、私立大。
これはもう無視できねぇだろう。
山ほどある(んでしょ?)私立大から調査対象になったのはわずかに16校ってことだからきちんと統計を取ればまた違った数字になるのかもしれない。
ってそういう問題じゃあねぇ。

彼らが社会に出るのだ。
19%の内の何%が新卒で働き出すだろうか。
「そういうやつらは社会に出てから恥をかくのだから放っておけばいい。」
そうじゃねぇよ。
その恥をかく連中に迷惑をかけられる人間が必ず出てくる。
店員、取引先、電話窓口などに問い合わせても話が通じない。
相手の話していることが筋が通っていない。
考えただけでも恐ろしい。

”大学生は分数の足し算ができない”
冗談か本当かは知らないが(恐らく本当だろうが)その理由は使わなくなってしまったからに他ならないだろう。
でもこれは日本語だぞ?
母国語だぞ?
毎日使ってんだぞ?

もはやゆとり教育について議論することに意味は無い。
授業も満足に受けられない日本語力を持った生徒が卒業できてしまう腐った大学制度に焦点を当てろ。
英語の授業時間の半分を国語に当てろ。
いくら英語ができたところで母国語が操れなければ何の価値も無いはずだ。
そして大事なのは”何ヶ国語話すか”ではなく”何を話すか”であるはずだ。
本を読ませろ。
公の場で弁論させろ。
学生のうちに恥をかかせてやれ。
取り返しのつく内に。

そして誰かこの19%の連中はどうやって大学に入学したのかを明らかにせよ。
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by zephyr_garden | 2005-06-08 18:04 | 言葉言語