誰かの「mixiには精神的子供やネット初心者、ネチケットの守れていない人が多すぎる」という言葉を見たときに、解決した。
なんだ、自分が感じていた気持ち悪さはようするにそういう連中によるものだったのか。
ビートたけし著「悪口の技術」にて、ワールドカップをこきおろしているのを読んだときは安心した。
なんだ、連中の腐ったナショナリズムに辟易していたのは自分だけではなかったのか。
なんとなく意識下にあって意見のスタンスは取れるのだけど、具体的にどう言っていいかよく分からない、そういうときは得てしてその事柄について深く考えていないからなのだけど、
「いや、なんとなくだけど、こう思うのよね、こういう気がするのよね」の「なんとなく」にははっきりとした原因と理由があることが多い。
だから自分と同じ側の意見で、かつその「なんとなく」を見事に言語化(verbalize)されているのを見ると実に爽快だ。
もはやその代弁者は救世主にすら見える。
同時に、自分の言葉は誰かに爽快感を与えたことがあるのかなぁ、とも思いますがね。